不惑にして惑う男の日記

四十にして惑う男が書く様々なネタ

門田博光・不惑の大砲(その4) ライバルとの熱い対決

久しぶりに不惑の大砲門田博光を取り上げることした。

やはり、球界きっての強打者について、もっと書きたくなった。

門田博光と言えば、パ・リーグである。

この頃のパ・リーグは、人呼んで「実力のパ」。

「人気のセ」セ・リーグへの対抗意識丸出しである。

人気はセ・リーグには及ばないが、実力では負けるわけないという強烈なプライドがにじみ出ている。

その気概に燃える役者たちがそろっていた。

ピッチャーだけでも、サブマリンエース・山田久志(阪急)、ケンカ投法・東尾修西鉄-太平洋-クラウンライターー西武)、草魂・鈴木啓示近鉄)、マサカリ投法村田兆治(ロッテ)とサムライ揃いだ。

今見てもシビれるような顔ぶればかりだ。

サブマリン・山田久志

我らが門田博光の一番のライバルが山田久志だ。こざかしい駆け引きは抜きで、インハイとアウトローの直球のみで勝負というシンプルなスタイル。その結果、山田久志は、門田博光から28本被弾する結果になっている。しかし、「本物のプロのバッターだった。真っすぐを狙っているところに、真っすぐを投げた。インハイとアウトローにすべて直球を投げていい勝負だった」と山田自身が語るようにお互いに悔いはなかった。

こんなことがあった。山田久志の現役最終年(すなわち、門田博光不惑の大砲として打ちまくった昭和63年)、対戦した2人だったが、山田久志はあっけなくノックアウト。その姿に何事か感じた門田博光は、翌日早朝に山田宅へ電話をかける。

(山田)「なんや、カド(門田)か。こんな朝早く電話なんて」

(門田)「ヤマちゃん(山田)、まさかやめるつもりやないやろうな」

(山田)「こんなぶざまな格好のままやめられるもんか」

(門田)「ヤマちゃん、ホンマやろな。信じてええんやな」

(山田)「当たり前や。カドにもお返しせんとアカンからな」

という会話だったらしい。要は、山田の雰囲気から「引退」を感じ取った門田が電話で真意を問いただしたというわけだ。

しかし、強がって見せたサブマリンエースも、内心では現役引退を決めていたのだった。

こういうライバル同士の会話ができるのも、うらやましい限りだと思う。

ケンカ投法・東尾修

東尾修は、危ない球をバッターの内角すれすれに投げ、外角球の絶妙なコントロールで打者をかわしていくのが持ち味だった。

とある試合の第1打席で、その危ない球が門田に当たった。そのお返しに、ピッチャー返しを東尾の太ももにお見舞いしたという。

(門田)「トンビ(東尾)、大丈夫か」

(東尾)「カドさん何を言うてますか。バットは全部僕の方に向いてますやん」

(門田)「やっぱりわかっとったか」

(東尾)「当然わかっていましたよ」

(門田)「お前、1打席目にオレに当てたやないか。これでおあいこや」

(東尾)「そうですね」

以後、東尾は一切そのような投球を門田にしてこなくなった。

なお、落合博満も同様の話が語り伝えられている。

マサカリ・村田兆治

村田兆治は門田から生涯14本被弾している。その中の1本がどうしても忘れられないのだという。「マサカリが完成してすぐのころ、絶対に打たれるはずのないひざ元へのスライダーを門田さんに打たれてサヨナラホームランを喫した。失投ではなくて、完ぺきな球をホームランにするバッター。あれから、門田さんにスライダーを投げたことはない」

それからの村田兆治は、スライダーを封印してストレートの威力を高めるべく精進に励んだ。それを伝え聞いた門田もストレートの球威に負けないよう、鉄球を打つトレーニングに励み、村田はさらにストレートに磨きをかけるよう鍛錬を続けたという。

鉄球を打つというあたりで、「花形満か!」とツッコミを入れたくなった。まあ、門田の場合、鉄のボールを打って、村田の球威に押されないという独自トレーニングだろう。投げるほうも投げるほうだが、打つほうも打つほうだ。さすがサムライだ

中島春雄・世界も絶賛するゴジラ役者が去った

前回の記事で、『ゴジラ』第1作を取り上げた。

 

時期が時期だけに、反戦映画として鑑賞したことを書いたのだ。

www.bamboo-takechan.com

なぜ、ゴジラ』第1作(以下『ゴジラ』の表記で統一)を取り上げたのか?

前回の記事に書いたように、反戦への思いに突き動かされたという側面も強かった。

しかし、更に書きたかったのが『ゴジラ』の真の主役である中の人のことだ。

中島春雄スーツアクターの草分けたる人物である。

スーツアクターとしては、『ウルトラマン』の古谷敏、『仮面ライダー』の大野剣友会(中村文弥、中屋敷鉄也、岡田勝ら)が著名な存在だ。

そして、『ゴジラ』は今回取り上げる中島春雄に尽きる。

スーツの中で想像を絶する暑さと苦しみに耐え、ほんのささいな動きで最大限のパフォーマンスを演じてくれる存在だ。彼らの存在なくして、これら偉大な作品はあり得なかった。歴史の証言者と言ってもよいだろう。

その歴史の証言者の一人たる中島春雄が、帰らぬ人となった。

ゴジラ役者として世界からも絶賛された彼の死去は、世界メディアでも大きく報じられている。

スーツアクターなる言葉が存在しなかった時代に、文字通り体を張って「こんな仕事があるんだ」と知らしめた功績は計り知れない重みを持つ。

先駆者たる彼の奮闘を語らずして、後のゴジラシリーズは語れないのだ。

日本初のスタントマン

中島春雄は1929年1月1日、山形県酒田市で肉屋を営む両親の間に、五人兄弟の三男として生まれた。水泳と素潜りが得意だったため、後年のゴジラ役でその能力が生かされることになる。

1943年、14歳で横須賀の海軍航空技術廠の養成所入り。いわゆる予科錬としてカタパルト担当へ配属された。この時鍛えられた経験が、過酷を極めるゴジラスーツアクターの体力の基礎となった。

実家の手伝いや運転手などを経て、1950年東宝に専属俳優として入社。邦画全盛の時世で、日本初の身体に火をつけてのファイヤースタントを演じる。その当時、当然ながら日本にはスタントマンなんて職業はなく、「吹き替え」と呼ばれていたらしい。

この時期、数々の吹き替えをこなす。

ハードだ。もうこの時点で体を張っているという匂いがプンプンしている。

 ゴジラ役への抜擢

そんな中島春雄に日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』のスーツアクターのオファーが舞い込む。ぬいぐるみ(スーツ)の中に人が入って演じるという日本初の「ぬいぐるみ怪獣」。

特撮監督の円谷英二から、「お前が演じてくれれば3ケ月でできる」と口説かれたという。

それまでの怪獣は人形アニメを用いた表現しかなく、制作側も「ぬいぐるみ」を使うと言われても、全然イメージが湧かなかったそうだ。なにしろ初めての試みだから、当然だろう。

さらに困難を極めたのが、スーツに入っての演技だった。最初に完成したスーツは、特殊プラスチックを素材として造形されたため、重量が150kg近くもあるという代物だった。当然、一度転ぼうものなら、自力では立ち上がれない。

先輩俳優の手塚勝巳と共にスーツを着て歩行テストしたところ、中島春雄は何とか10メートル歩けたが手塚勝巳は3メートル歩くのがやっとだった。

スーツの中は自分の汗が充満し、とても臭くてたまらなかったらしい。

今では信じられないが、草創期ならではの話である。こんな劣悪なスーツに入って演技できたのも、「軍隊で鍛えられたおかげ」だったそうだ。

 一番の悩みは「どんな動きをすればリアルに見えるか」。円谷英二から『キング・コング』を見せてはもらったもののイメージがつかめず、合間を縫って上野動物園でひたすら動物を観察した。その結果、象や熊の動きからヒントを得るところが大きかった。

そんな苦労のかいあって、「脇を開かずにつま先を蹴り上げて、足の裏を見せないよう歩く」という重厚感みなぎる「中島流」ゴジラが確立された。第1作の成功は、中島春雄の試行錯誤の末に生まれたものだった。

ミスター・ゴジラ

その後も、1972年の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』まで、主にゴジラスーツアクターとして一線で活躍した。晩年になると、スーツの中に人が入っているという感覚はもはやなく、ごく自然にゴジラになり切っているほどの円熟ぶりだった。

ゴジラ以外にも、ラドンやバラゴン、ガイラなどでも彼の演技が生かされている。また、TVでは円谷英二の要請で『ウルトラQ』に参加。続く『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』にも出演している。

新しいゴジラが造形される際は、必ず試着して動きやすいよう改良していた。1作目のスーツに入った経験を後々まで生かし、そのノウハウを新造形のゴジラにも蓄積していたのだ。今のゴジラスーツには、先駆者である中島春雄の経験が生かされていることを忘れてはいけない。

彼のゴジラ俳優としての知名度は世界的であり、海外では愛称「ミスター・ゴジラ」と絶賛されている。近年は講演活動に積極的で、海外で開催されるイベントへの講演オファーがひっきりなしだった。そのオファーの人気ぶりは、講演料を貯めて家を建てたと言うエピソードでもうかがい知れる。それほど、世界中のゴジラファンからリスペクトされる存在だったのだ。

そのキャリアを評価したハリウッドから、キングコング役のオファーが来たこともあったという。ギャラも破格で、世界進出のまたとないチャンスだった。本人もやる気満々だったが、円谷英二の「何を言ってるんだ、もう次回作が待ってるんだぞ」という一言でしぶしぶ断念した。「ミスター・ゴジラ」のハリウッド進出を蹴るとは、特撮の神様も野暮なことをしたもんだと思う。

最後に、ドキュメンタリーで「ミスター・ゴジラ中島春雄自身が語ったコメントをもって締めくくりにしたい。

「最後まで僕のゴジラっていうのは、フイルムに残っていますから。記録に残っているから、僕にとってはありがたいと思う」

 

【感想】『ゴジラ』(1954)をあえて反戦映画として鑑賞した日

ここでいう『ゴジラ』は、『シン・ゴジラ』ではないし、松井秀喜のことでもない。

1954年公開の記念すべきゴジラシリーズ第1作のことだ。

なぜ今になって1954年版『ゴジラ』(以下、ゴジラ』と表記)の感想を書こうと思い立ったのか?

 これには、俺なりの理由がある。

東京大空襲に広島・長崎への原爆投下など太平洋戦争末期に、数あまたの生命が失われて72年。

燃えさかる灼熱の炎、それはまさに地獄の業火だ。

その地獄の業火になすすべを知らず、逃げ惑い命を落とす名もなき善良な市民たち。

生き延びた人々も、ある人はその時の惨劇に心をさいなまれ、またある人は放射性物質に侵されて命をむしばまれていく。

こんなことがあっていいのか。

世に戦争がある限り、世界のどこかで同じような悲劇が繰り返される。

それゆえ、戦争の悲劇を記憶にとどめなければという使命感が俺を突き動かしたのかも知れない。

しかし、小・中・高校時代に学校で鑑賞させられた反戦映画が俺の心の中にトラウマとして残っている。

だから、世にいう反戦映画と向かい合ってみようという勇気がないのだ、恥ずかしながら。

しかし、ある時思い立った。『ゴジラ』があるではないか?

私は見た! 確かにジュラ紀の生物だ! 

ストーリーはよく知られているので、ここではあえて省略する。

ゴジラ』は、人それぞれの見方、感じ方で違ってくる。

それだけ、この映画には様々な側面があるということだ。

  • 本格的特撮映画
  • 反戦反核映画
  • 娯楽映画  などなど・・・

「決して反戦反核だけを前面に押し出されているわけではない」と言う意見もあるが、俺はあえて反戦映画として見ることにした。

破壊の権化として畏怖されることの多いゴジラ

以前は破壊の限りを尽くす大怪獣としてゴジラを見ていた俺だが、年齢を重ねるにつれてその表情や鳴き声、動きそのものに悲しみを感じるようになってきた。 

これは監督の本多猪四郎特技監督円谷英二をはじめ撮影陣の功績も大きいが、スーツアクターで熱演した中島春雄の奮闘も忘れてはならない。

それにしても、見ていて胸をかきむしられる思いだったのが、モブキャラの母子。

ゴジラの破壊活動に逃げ惑い、最期を覚悟した母親は幼い娘を抱きしめて「もうすぐお父さまのところへ行くのよ!」。

しかし、娘は生き延びて、冷たくなった母親の亡骸を前に泣きじゃくる。

今でも強烈に記憶に焼き付けられているこのシーンこそ、俺に今回の記事を書かせた原動力だろう。

ほかにも「また疎開かぁ」、「せっかく長崎の原爆から命拾いした大切な体なんだもん」 など終戦から間もない製作時期をしのばせるセリフが随所に現れる。

終戦から10年、戦争の爪痕はまだ生々しかったのだ。

僕の手でオキシジェン・デストロイヤーを使用するのは、今回1回限りだ!

そして、戦争と言えば科学である。

科学の発展はすなわち戦争と共にある、と言っても過言ではないかも知れない。

ここに自らが偶然発見した化学物質の威力に戦慄し、苦悩する一人の男がいた。

男の名は芹沢大助。

将来を嘱望された科学者でありながら、戦争で負傷して研究に没頭する日々を送っていた。

その芹沢博士が開発した化学物質こそオキシジェン・デストロイヤーだった。

水中の酸素を破壊し、すべての生物を一瞬のうちに死滅させ、完全に液化してしまう恐るべき薬剤なのだ。

これを軍事利用で大量殺戮に使われることを恐れた芹沢は、平和利用に役立てるためオキシジェン・デストロイヤーの研究成果を公にしなかった。

しかし、周囲の熱意あふれる説得とテレビで放送された「平和への祈り」の歌声にうたれた芹沢は翻意、対ゴジラ兵器としてたった一度限りの使用を決断する。

これは、自らの命とともに研究成果を永遠に封印することを意味していたのだ。

この芹沢の科学者ゆえ苦悩する描写が素晴らしい。

先日、ナパーム弾を開発したある科学者がテレビで紹介されていたが、まさに芹沢と好対照のスタンスだった。国を愛するがゆえに、大量の犠牲が出ることも顧みず、アメリカ軍に進んで協力した姿は人間としての倫理観から著しく逸脱していた。

そして、大量殺戮兵器として東京大空襲朝鮮戦争ベトナム戦争でナパーム弾は著しい効果を見せ、多くの人民が犠牲となった。それでもその科学者は、「必要とあればもう一度同じことをするだろう」と言ってのけた。

対して、芹沢は自らの命を犠牲にすることで、オキシジェン・デストロイヤーの軍事利用を阻止したのだ。

芹沢を翻意させた「平和への祈り」、作曲は伊福部昭。本作の主題曲があまりにも有名だが、この「平和への祈り」がまた素晴らしい。桐朋学園(現:桐朋学園大学)の女子高校生2,000名余りの斉唱するメロディーとその姿は、聞き手の心を打つ。本作のクロージングにも流れたこの歌に、俺は不覚にも目頭が熱くなるのを覚えた。

そういえば、作曲者の伊福部昭は戦時中は戦時科学研究員として勤務していた。そのため、無防備放射線を浴びざるを得なかったという経験を持つ身だった。同じく研究員だった兄も、放射線障害で亡くなったと伝えられている。

その忌むべき経験が、『ゴジラ』の音楽を手掛けるきっかけとなった。伊福部昭もまた、戦争の被害者の一人だったのだ。

あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない

巡視船から東京湾海底に降り、ゴジラの足元でオキシジェン・デストロイヤーの装置を作動させる芹沢。BGMで流れる「海底下のゴジラ」もなかなか感情を揺さぶる名曲だ。

ゴジラがもだえ苦しむ姿に成功を確認した芹沢は命綱と空気管を切断し、オキシジェン・デストロイヤーの秘密を明かさぬままゴジラの道連れとなり消えていく。

ラストでゴジラが断末魔を残し、泡になって消えるシーンはゴジラへの同情が多く寄せられたと伝えられている。観客や出演者、スタッフからも「ゴジラがかわいそうだ」という声が圧倒的だったという。あれほどの破壊と殺戮を引き起こしたゴジラでありながら、シンパシーを感じさせる存在となっていたのだ。

核兵器という人類の兵器によって生み出され、人間の都合で海の藻屑と消える姿は何とも切ない。これほど人類の身勝手さを痛烈に表現したものはないだろう。戦争とは、そういった人類の身勝手さ、愚かさが引き起こす負の遺伝子なのだ。その負の遺伝子を断ち切ることは、もはや不可能に近いだろう。

それにしても、ゴジラは作中の言葉通り「最後の一匹」ではなかった。しかし、これほどの高いメッセージ性を帯びていたのはこの「最後の一匹」だったのかも知れない。

 

リフレクソロジーとマッサージはどう違うのか?

肩こりや手足の張りなどで、体がだるい今日この頃だ。

不惑も後半にさしかかり、決して節制しているとはいえない生活スタイルも体に負担をかけているのは想像に難くない。

というわけで、たまに近所のリフレクソロジー店へ通っている。

ところで、「今さら何を」レベルの素朴な疑問が俺の粗末な脳みそを支配し始めた。

そもそも「リフレクソロジー」と「マッサージ」とはどう違うのだろうか?

一見すると、両方とも体の部位を押すという点ではほとんど区別がつかない。

どこがどう違うのか?

この際だから、ブログのネタ作りも兼ねて調べてみた。

リフレクソロジーとは?

まず、「リフレクソロジー」について調べてみた。

発祥はアメリカらしい。

足の特定の部位が体の臓器に関連していることから、この足の部位を押せば体の

疲労を改善するという考え方に基づき、一般に広まった。

この足の特定の部位を「内臓反射区」と言うそうである。

リフレクソロジー店で施術を受けた際に、この言葉で説明を受けた方も多いことだろう。

定義について、Wikipediaを参照してみた。

リフレクソロジー(英: reflexology)とは、反射療法とも呼ばれ、主に足の裏(手の平などを含む場合もある)の特定部位を押せば体の特定部位に変化が起こるという考えに基づき、疲労の改善などをはかる療法である。

語源は、reflex(反射)と-ology(学や論の意味を表す名詞を作る接尾辞)を合わせた造語であるとの説が有力。

出典:リフレクソロジー - Wikipedia 

現在では疲れ切った現代人の「癒やし」として、リーズナブルな料金と落ち着ける雰囲気、親切な従業員の施術をセールスポイントに店舗がしのぎを削っている。

マッサージとは?

それに対して、マッサージとはヨーロッパ発祥らしい。

16世紀の後半、フランスでマッサージの効力が認められ、医療行為として普及するに至ったとある。

Wikipediaによれば、以下のとおり定義されている。

マッサージ(仏: massage)は、皮膚に求心的に施術することにより主に静脈系血液循環の改善やリンパ循環の改善を目的にした手技療法である。

出典:マッサージ - Wikipedia

 

うーむ、これではあまりにも漠然とし過ぎている。というわけで、さらに突っ込んで違いを調べてみた。

マッサージは厳密には指先などの末梢部から心臓に向かって施術を行う(按摩の施術はその逆となる)

出典:マッサージ - Wikipedia

ということだ。

法令での区別は?

そんでもって、法令ではどういう区別がなされているのか?

両者とも「医業類似行為」にあたるとされている。

つまり、医師の専門的知識、技能がなくても可能な施術行為ということだ。あくまでも治療ではない。治療とは、医師として認められた者のみが行う医療行為を言うらしい。

一般には「治療」とはマッサージ等も含めて広めにとらえがちだが、法令では人体への影響も考慮して、狭く解釈されている。

この「医業類似行為」にも法で認められた行為法に基づかない行為の2種あるのだ。

マッサージは前者、リフレクソロジーは後者に該当するらしい。

マッサージは法制で有資格者でないとだめだが、リフレクソロジーは未法制でその限りりではない。しかし、施術行為もマッサージとリフレクソロジーは大同小異なので要注意。落とし穴になりやすい点が多々含まれており、業界でも注意喚起を行っている。

 

 

まとめ

つまり、俺が最終整理してみたところでは、

  • 「マッサージ」は末梢部から心臓に向けて「線」で施術するという行為。血液やリンパの循環を改善するのが目的。
  • リフレクソロジー」とは、体の特定部位を「面」で施術するという行為。体のリフレッシュなど「癒やし」の側面が強い。
  • 両者とも「医療行為」(=治療)ではなく、あくまで「医業類似行為」(=施術)。だから、治療をうたいこんだり、誇大宣伝したりすればアウト。
  • マッサージは法で認められた医業類似行為だが、リフレクソロジーは法に基づかない医業類似行為にあたる。

といったところだ。

あくまで、ネットで調べた一夜漬け程度の整理だから、整理が浅いところはご容赦願いたい。

さあ、また近いうちに近所のリフレクソロジー店へ癒やされに行って来よう。

 

 

 

破れ奉行 速水右近・てめえらぁ斬る!

絶えて久しく、時代劇らしい時代劇にお目にかかっていない。

ここで俺が言う時代劇とは、世にはびこる悪を成敗する勧善懲悪のスタイルのあれだ。

現在放送中の某国営放送「おんな城主~」など、正直見たいという気すら起こらん。

今の俺が見たい時代劇をあげろと言われたら、真っ先に「破れ奉行」を挙げたい。

これほど破天荒で豪快な時代劇は他に知らない。

主演は「ヨロキン」こと萬屋錦之介

破れ傘刀舟 悪人狩り」に続く通称「破れシリーズ」第2弾だ。

それでは、この「破れ奉行」とは、どんな作品かご紹介しよう。

ならんならん、ならんぞ右近!

老中稲葉越中守によって江戸に呼び戻された速水右近は、その稲葉を通じて“将軍”から葵の御紋付きの将軍家拝領の刀を下賜されることを条件に、深川奉行に就任する。

出典:破れ奉行 - Wikipedia

このドラマでは、「江戸の掃き溜め」と呼ばれる深川(現在の東京都江東区)界隈を主な舞台として話が進む。

その深川を取り締まる深川奉行に任命されたのが、主人公・速水右近である。

深川に暗躍する巨悪(だいたいが幕府高官+悪徳商人)を叩っ斬るという強大な権限を与えられた我らの破れ奉行。

ただし、幕閣としては表立っては「斬り捨て御免」を許可することはできない。

従って、将軍からの拝領刀を与え、「この刀を汚す物あらば」と暗黙で「斬り捨て御免」を右近に認めたわけだ。

この右近、冷静沈着にして大胆不敵、下情に通じ人望も厚い剣の達人という完全無欠の主人公だ。

「破れ奉行」の名に恥じぬ型破りな行動で、次々と難事件を解決していく(というより、闇に葬っていく)。

クライマックスは 悪人の屋敷に乗り込む右近。

その斬り込みスタイルもすごければ乗り込み方もすごい。

右近は頭巾と下がパンタロンっぽい袴、長上着、拝領刀を身に着け銛を片手に鯨船に乗りこみ、単身で諸悪の根源である人物の屋敷に夜襲を仕掛け(第10話、第23話では鯨舟で屋敷に突っ込んでいった)、その一味を一網打尽に成敗する。悪人一味の前で頭巾の口元の部分をとって右近の正体を明かし、拝領刀の葵の御紋を「頭が高い!」と悪人にかざしてから「天に代わって破れ奉行、てめえらぁ斬る!」と叫び(最初の一太刀をまず襲ってきた悪人の部下に浴びせてからが多い、また、第1話は決め台詞の最初だけ「上様に代わって破れ奉行・速水右近」と言っていた。)、そこから大立ち回りが繰り広げて悪党を一網打尽に斬って捨て、全ての悪を切り捨てると懐から和紙を取り出し、拝領刀に付いた血を拭いてから巻き散らすように捨てつつ刀をしまうが定型である。

出典:破れ奉行 - Wikipedia

そう、乗り込む手段が何と船頭が漕ぐ鯨舟。

この鯨舟と船頭は、右近と昵懇の御船手頭・若林豪…ではなくて向井将監からのレンタル。

しかも将軍家拝領の刀を携え、頭巾にパンタロンというスタイルだ。

時には鯨舟ごと悪人の屋敷に突入、というドリフさながらの殴り込みを敢行。

その凄さを下記の動画でご紹介しよう。

爆笑必至の鯨舟突入シーンに加え、あの森山周一郎が斬られ役で登場しているのがツボだ。

刑事コジャック」の森山周一郎だ!

「ニューヨーク怒りの用心棒」が「破れ奉行」に斬られるシーンは必見。

       ↓ ↓ ↓

Yabure-bugyo #10 - YouTube

 

聞くところによりますと、〇〇様は心の臓が至って弱く・・・

犯罪の確証が固まると右近は老中稲葉の元に相談に出向く。しかし、老中たる稲葉の立場としても表立って処罰を加えることはできない立場の人物が相手であることから、右近に表立って断罪を指示することもできない。そのため老中稲葉と右近は互いに肚の内を隠して悪態をつきつつ、やがて稲葉が「わしは知らん」「この件は忘れろ」など断罪を許可する間接的な示唆を与えるまでの掛け合いの場面が1つの見所となっている。

出典:破れ奉行 - Wikipedia

悪人の尻尾をつかんだ右近。

これまでの時代劇なら、悪人宅に乗り込んで問答無用でバッサリという描写だ。

しかし、この「破れ奉行」では、上司である老中・稲葉越中守にお伺いを立てるというプロセスがこれまでの時代劇と一線を画している。

さすがお奉行、ちゃんとお伺いを立てるのだ。

ただ、この「お伺い」の言い回しが凄い。

この場面で右近の側が「近頃○○様は心臓の発作がひどく、いつ頓死するか分からぬ状態とか」などと悪人が近々“急死”することを示唆する発言をする場合がある。

出典:破れ奉行 - Wikipedia

 

つまり、「悪人を始末するから、心臓発作かなんかで急死ということで片づけてくださいよ」という意味。まあ、殺人を示唆してるワケだ。

また、ヨロキンの切り出し方が「聞くところによりますと」と今思い出したかのようにわざとらしいのだ(しかも、セリフ回しが様になってる)。

これに御老中慌てて「ならんぞ、右近!○○は上様お気に入りじゃ。手を付けること相ならん!」と「ならんぞ」を連発するのがお約束。

しかし、御老中もなかなか食えないタヌキジジイだ。

一応は止めるフリして「ならんぞ」を連発したものの、その後「頓死か・・・」とほくそ笑むのである。

文章で書いても面白味が伝わらんので、下記の動画で御老中の「ならんぞ」を堪能して欲しい。

       ↓ ↓ ↓

「破れ奉行」稲葉越中守詰め合わせ by owarabi - ニコニコ動画

 

天に代わって破れ奉行、てめえらぁ斬る!

というわけで、悪人宅に乗り込んだ我らの速水右近。

悪人どもは深川奉行の追及は察知していたものの、権力をかさに着て高笑い。

そこへ突然現れた頭巾にパンタロン姿の正体不明の男。

視聴者には「正義の味方・速水右近」とインプットされてるが、鯨用の銛(もり)を持って現れた姿、どう見ても殺人鬼だ。

「何者だ!頭巾を取れ、頭巾を!」と誰何されるも、「(頭巾を)取ったらテメエら、困るんじゃないのかい?」と不敵に笑う深川奉行。

そして、男の正体を知ってフリーズする悪人ども。

逃げようとする悪徳商人があえなく銛で仕留められる。

「ええい!頭が高ぁ~い!」と拝領刀の葵の御紋の御威光で、悪人どもを圧倒。

そして、「天に代わって破れ奉行、てめえらぁ斬る!」と大量殺戮モードに突入するのであった。

たった一人で数十人をぶった斬るとはさすが「破れ奉行」。

もちろん、悪人どもは「急死」として稲葉越中守が処理するのだった。

それにしても、萬屋錦之介の殺陣は様式美の極致。オーラ全開でしかも美しい。

鯨舟を作って自分のプロダクションを倒産させたというエピソードも「破れ奉行」の異彩を際立たせている。

しかも、脚本をメインで手掛けた池田一朗とは、あの隆慶一郎だ。

道理で突き抜けた内容だと納得。

これほどのパワーあふれる時代劇、今のご時世では作れんだろう。

まあ、現代の脚本と役者と制作陣でリメイクしても、本作の完成度を貶めるのは目に見えているからなあ。

全話視聴したことがないんで、DVD化を切に望む。

 

 

永射保・必殺左殺し伝説

8月である。

汗がしたたり落ちる猛暑もキツいが、また1つ年を取るという現実に愕然とする。

8月は俺の誕生月なのだ。

不惑真っただ中の俺には、誕生日などこれっぽっちも感傷はない。

あるのは、「無駄に年を重ねた」ということへの苦い思いだけだ。

そんなたわごとはさておき、今回の本題に入る。

パ・リーグの猛者を手玉に取った男

 6月24日、一人の元プロ野球選手が天国に旅立った。

男の名は永射保

彼こそは、球界屈指の左のワンポイントリリーフである。

どんな名選手にもひけをとらない異彩と存在感を発揮した「必殺の左殺し」だ。

この訃報を知り、俺がどれほどショックを受けたことか。

そこで、追悼の意味を込めて、今回ブログを書くことにした。

彼の全盛期は西武ライオンズ時代。

当時、パ・リーグには左の猛者が綺羅星のごとくならんでいた。

主なところでも、

といった具合になかなか豪華な顔ぶれである。

並みのピッチャーならビビッてしまいそうな猛者どもを平然と仕留めてのけたのが

今回の主人公・永射保である。

 西武時代は、特にピンチで相手主軸を一人抑えて流れを引き戻すことも多く「史上最強のワンポイント」との呼び声もある。

出典:永射保 - Wikipedia

と言われるほど要所での起用が多く、しかも見事に結果を出していた。

どれほど相手にとって嫌な存在だったか、「世界の盗塁王福本豊の言葉を借りよう。

 顔を見るのもイヤだった。永射にはずっと苦しめられた。(左打者の)背中からボールが来る。そんな球の軌道に、自分のスイングをさせてもらえなかった。空振りか、やっとバットに当ててもショートゴロ。いろいろ工夫はしたけど、どうやって打てばいいのか、最後まで分からなかった。

出典:福本豊氏、「左キラー」永射さんを悼む…「背中から球が来る」 : スポーツ報知

そう、背中から曲がってくるカーブこそが彼の武器だった。このカーブに猛者たちは苦しめられたのだ。

パ・リーグばかりではない。

日本シリーズで対戦したセ・リーグのバッターも永射の餌食となった。

1983年の日本シリーズでは当時ジャイアンツの最強の左打者だった篠塚利夫がチャンスの度にワンポイント登板の永射と対戦、4打席で3三振(1四球)に打ち取られ、永射はシリーズの流れを変える働きを示している。篠塚は左投手を苦にしない巧打者だったが、永射は打ちあぐねてしまった。出典:永射保 - Wikipedia

「1983年の日本シリーズ」とは、逆転に次ぐ逆転で「名勝負」の誉れ高い西武vs巨人戦である。

1980年代のプロ野球人気の頂点となった熱戦だった。

その大舞台で、天才・篠塚利夫(和典)ですら翻弄されたのだ。

左殺し永射保のチームへの貢献度は相当なものだった。

外国人選手を翻弄した男

彼のピッチングの餌食となった事で有名なのが、レロン・リートニー・ソレイタの2人である。

誤解のないように言っておくが、2人とも当時のパ・リーグで他チームの脅威となった強打者である。

念のため、2人の日本での記録を簡単に書いておく。

  1315試合出場 4934打数1579安打 283本塁打912打点 打率.320 

    510試合出場 1786打数479安打 155本塁打371打点 打率.268

2人ともホームラン、打点タイトルを獲得したほどのバッターである。

加えて、レロン・リーは通算打率でも分かるように、アベレージも期待できる頼りになる存在だったのだ。

しかし、このリーグ屈指の2人が永射保の前では全く歯が立たなかった。

永射保との対戦成績に絞ると、次のようになる。

2人がどれほど永射を苦手としたかというエピソードが伝わっている。

レロン・リーは、永射を打てないあまり、左打者でありながら右打席に入ったことは有名。また、永射の500試合登板記念パーティーにゲストとして登場し、「彼のおかげで年俸がずいぶん低く抑えられたよ」と冗談とも本音ともとれるスピーチで座を沸かせた。

トニー・ソレイタは永射がマウンドに上がると涙目になったという(永射談)。また、彼の連続ホームラン記録がかかっていた試合で、記録をストップさせたのが当の永射だった。ソレイタ日本ハムから見限られたのは、一説には永射を打てなかったことが大きかったらしい。

ついでと言っては何だが、不惑の大砲門田博光も永射を苦手とした1人だ。

永射が登板した時に門田に代打が登場、それで「ああ、これで門田さんはオレを一生打てないな」と感じたらしい。

自衛隊に入隊した男

永射保伝説の一つに、「自衛隊へ入った」というエピソードがある。

いくら何でもと思ったが、どうやら事実らしい。 

この背景には、当時在籍していた太平洋クラブ・クラウンライター(いずれも現・埼玉西武)の財政事情がある。

球団の苦しい財政事情から選手たちの待遇も恵まれず、アルバイトで生計の足しにする選手が大勢いたと伝えられている。

実際、フランチャイズ平和台球場で焼き鳥屋を開いていたという選手もいるほどだ。

 永射保もその例外ではなかった。

彼が選んだアルバイトの一つが、事もあろうに「自衛隊」だった。

その理由は「給料もなかなかいいし、トレーニングにもなるから」だったそうだ。

身分を隠して入隊し、結局は上官に「実は自分はプロ野球選手だ」と告白したらしい。

その上官からは「かなり基礎体力があるとは思っていた。さすがプロ野球で鍛えただけのことはある」と褒められたそうだ。

今ならそんなことは考えられない。

 やはり、永射保はただものではない。

 

あの名曲とあの名作漫画のモデルになった男

外国人選手を翻弄し、自衛隊に入るなど異彩を放った永射保

その人生に強烈な輝きを与えているのが、ピンクレディー「サウスポー」と水島新司野球狂の詩水原勇気のモデルになったという事実だろう。

「サウスポー」のモデルになったいきさつは、下記の通りだ。

歌のモデルとなったのは当時クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に所属していた永射保であり、振り付けの投球フォームがアンダースロー気味なのはそのためである。阿久は前年1977年のオールスター第2戦の4回表に読売ジャイアンツ王貞治を大きなカーブで空振り三振に仕留めた永射の投球に感銘を受け、この歌詞を書いたという(「魔球はハリケーン」は、他ならぬ王を仕留めたカーブのことである)[1]

出典:サウスポー (ピンク・レディーの曲) - Wikipedia

そんでもって、曲は大ヒット。俺もこの曲は知っているが、まさかモデルが永射保だとは知らなかった。

ピンクレディーの武道館コンサートでも「一緒に踊って欲しい」というオファーまで舞い込むほどだった(でも、断ったらしい)。

これだけでも十分凄いが、さらに凄いのが「野球狂の詩」でもモデルになったことだ。

水島新司オープン戦から永射を取材し、投球フォームまで研究したとのこと。でも、男では絵にならないから、女性プロ野球選手という設定に置き換えたらしい。

水島先生は知り合いのプロ野球選手に構想を打ち明けたら、ことごとく相手にされなかった。唯一相談に乗ってくれたのがノムさん。「その投手独自のボールがあれば、ワンポイントであれば通用するかも」というわけで、ドリームボール誕生と相成ったのだ。

 

こんな強力なエピソードがあれば、トークのネタでも困ることはないだろう。

敬遠球をホームランにされた男

 

そんな数々のエピソードを持つ永射保だが、実は最も不名誉な記録の持ち主でもある。

敬遠球をホームランにされた唯一の人物なのだ。

 1981年7月19日の平和台野球場日本ハムの柏原純一に敬遠球を本塁打にされた。これは日本プロ野球史上唯一の記録である。

出典:永射保 - Wikipedia

次打者がカモのトニー・ソレイタだったことで敬遠策に出たわけである。そんなことは百も承知の柏原、なんと大根斬りでスタンドに叩き込んでしまったのだ。

これにはさすがの永射もガックリ 。

この柏原が阪神打撃コーチとして指導した新庄剛志も、敬遠球をサヨナラヒットしている。師弟ともに悪球打ちだったわけだ。

ついでながら、この柏原は水島新司あぶさん」の主人公・景浦安武のモデルの一人となった男である。水島新司南海ホークスの合宿を訪れた際、ボサボサ髪の男が一升瓶を片手に部屋に寝転がっていた。このボサボサ髪の男を見て、水島先生「これは新連載の漫画の主人公にいける!」とひらめいたらしい。この男こそ柏原だった。

敬遠球を打たれた永射は水原勇気のモデルで、打った柏原が景浦安武のモデルというのが何とも因縁を感じさせる。

最後に

以上、永射保伝説について延々と書いてきた。

本人にとって不名誉な敬遠球ホームランのエピソードで締めくくるというのは、とても失礼な話だろう。

本来なら、1982年「西宮決戦」での先発エピソードなども書くべきだったかも知れない。

しかし、ピンチで「背中から来る」カーブで数々の猛者をきりきり舞いさせたサウスポーの伝説は色褪せることはないだろう。

永射保、彼こそはプロ野球屈指の名バイプレーヤーだ。

この言葉をもって、故人への追悼としたい。

 

マジンガーZ 空にそびえるくろがねの城

無敵の力はぼくらのために

一世を風靡したスーパーロボットマジンガーZの新作映画が来年1月公開されるという。

マジンガーZ

元祖スーパーロボットとして今も熱く語り継がれる名作アニメである。

その存在意義は、Wikipediaでも下記の通り書かれている。

巨大な人型ロボットに主人公が乗り込み操縦するという、「巨大ロボットアニメ」と呼ばれる分野に分類される初めての作品[1]である。

出典: マジンガーZ - Wikipedia

それまでの巨大ロボットはリモコンで遠隔操縦する「鉄人28号」や声で命令する「ジャイアントロボ」などが有名である。

しかし、巨大ロボットにパイロットが乗り込んで操縦するという発想はなかった。

天才・永井豪の発想力に脱帽するばかりである。

 

主なストーリーは以下の通りである。

天才科学者「兜十蔵」博士は世界征服を企むドクターヘルから地球を守る為に「神にも悪魔にもなれる」能力を秘めたスーパーロボットマジンガーZ」を作り出した。 兜十蔵博士はドクターヘルの攻撃によって亡くなってしまったが、彼が作った無敵のロボットマジンガーZは孫の「兜甲児」に託され、兜甲児はDr.ヘルとDr.ヘルが作り出した機械獣軍団の野望を打ち砕くためにマジンガーZで戦う決意を固める。

出典:マジンガーZ - Wikipedia

光子力研究所敷地内の汚水処理場(俺はプールだと思い込んでいた)の水を割って出動するオープニングは今でもシビレる。

感動ものだ。

宇宙戦艦ヤマトでもそうだが、発進シークエンスはこうでなくてはダメなのだ。

水木一郎アニキの熱唱する主題歌は、アニソンの中でも別格の扱いを受けるほど大ヒットしたほどだ。

そりゃそうだろう。

オープニングであのイントロが鳴り響けば、当時のガキんちょどもはみな魂を鷲づかみされたことは疑いない。

劇中の「超合金Z」にちなんで発売されたオモチャ「超合金」は当時のガキどもの垂涎の的だった。

もリファインを重ねて「超合金魂」として発売されていることからも、マジンガーZの影響力は推して知るべしだろう。

しかし、放映当時の俺はまだ生まれて1年だから、アニメを見た記憶が一切なかった。

記憶にないのも道理で、俺の暮らす高知県では放映していなかったということをWikipediaでさっき知ったのだ。

正義の心をパイルダーオン!

そんな俺がなぜマジンガーZを知っているのかというと、テレビ各局で放送していた「なつかしのアニメ特集」なる番組の賜物である。

主題歌は「アニソン特集」などという番組で覚えた。

こうやって語り継がれるところを見ると、やはりマジンガーZは凄いのだ。

DVDが分売開始された(約10年以上前だった)と知った俺は、意気込んでショップに買いに走ったものだ。

そして、勇んでアニメを全話視聴してみたよ、パイルダーオン!

ところが当初はカッコ悪いのだ、われらのマジンガーZ

まず、主人公の兜甲児が操縦に慣れず、悪戦苦闘する。まあ、そのへんはリアルともいえるが、そのためマジンガーZが戦う姿もしまらない。

ロケットパンチに光子力ビーム、ブレストファイヤーなどといったおなじみの武装で戦うものの

「これが元祖スーパーロボットかよ・・・」と目を覆いたくなりましたよ、あっしは。

敵役のDr.ヘルとその配下のあしゅら男爵の詰めの甘さもあって、何とか機械獣に勝ったという印象も強かったね。

しかし、徐々に我らが兜甲児も操縦に慣れ始め、相次ぐ戦いで武装強化(紅の翼・ジェットスクランダーなど)していくうちにだんだんスーパーロボットらしくカッコよくなっていくわけですよ。

不思議なもんですな。

でも、苦戦の末にDr.ヘルを倒し、平和が訪れたと思いきやもっと強い敵が現れやがった!

マジンゴー、マジンゴー、マジンガーZ

しかし、地球制圧を目論むミケーネ帝国が一行の隙を突き、本格的に地上侵攻を開始。その先兵として突如姿を現した戦闘獣たちの前に、ヘルとの激闘で深い傷を負っていたマジンガーZは太刀打ちできず敗北を喫する。出典:マジンガーZ - Wikipedia

 まあ、虎視眈々とミケーネ帝国は機会をうかがっていたわけだ。

そして、マジンガーZのコンディションを見抜き、ちゃっかりと侵略活動に乗り出したんだな。

満身創痍ながら出動したマジンガーZ、機械獣を凌駕する戦闘獣の前に壮絶なまでにたたきのめされる。

このやられっぷりが今見ても目を覆いたくなる。

これまで「無敵の力」で「ぼくらのために」戦ってきたスーパーロボットフルボッコにされるのだ。

当時のガキんちょたちが衝撃を受けたのは容易に想像できる。

あたかもウルトラマンゼットンに敗れたようなものだ。

しかし、そんな絶望的な状況で救世主がさっそうと現れた!

あわやこれまでと思われた時、グレートマジンガーと名乗る超巨大ロボットが姿を現し、甲児とマジンガーZの危機を救う。

出典:マジンガーZ - Wikipedia

グレートマジンガーは戦闘獣どもを見事に瞬殺。

死んだはずの甲児の父、兜剣造がミケーネ帝国の侵攻を予期し、マジンガーZをしのぐスーパーロボットを開発していたのだ。

つまり、最終回でマジンガーZからグレートマジンガーへと主役がバトンタッチされたのだ。

しかし、いまだにマジンガーZの人気は絶大だ。

主人公が巨大ロボに乗り込んで、敵と戦うというフォーマットは、やはりマジンガーZあってこそだ。

心配なのは、来年公開される映画の出来栄え。

やはりリメイク作は、旧作を信奉するファンから何かとバッシングを浴びる傾向にある。

願わくは、旧作を凌駕するスケールであってほしいものだ。

マジンゴー!