不惑にして惑う男の日記

四十にして惑う男が書く様々なネタ

門田博光・不惑の大砲(その2) ノムさんを手こずらせた男

これまでのあらすじ

門田博光

不惑まっただなかの俺がかつて興味を抱いた強打者だ。

40歳にしてホームランを量産し、人呼んで「不惑の大砲」。

この男のエピソードを掘り下げると、なかなか濃いのだ。

「監督ズルいわ!王さんと口裏合わせて」

門田博光がまだ若手だった時期の話だ。

プロ入り当初は南海ホークス(現ソフトバンク)でプレーしていた。

当時の監督はノムさんこと野村克也である。

今でこそ「愛すべきボヤキの大御所」だが、その時は現役バリバリ。

監督と4番打者と正捕手の1人三役をこなす驚異のオッサンだった。

このノムさんは一発狙いのフルスイングにこだわり続けた若き門田博光のスタイルが気に入らなかった。

ノムさんのバッティング理論は相手投手のボールのスピードを利用して飛ばすものだ。

だから、ブンブン振り回す門田博光とは全く対照的だった。

「そんなに振らんでエエ。何回言うたら分かるんや!」と口を酸っぱくして説教していたようだ。

「ええ加減にせんか!そんなんやったら二度と使わんぞ!」と言われてもどこ吹く風の門田のオッサン。

業を煮やしたノムさん、ついに最終手段を発動した。

「世界の王」こと王貞治を担ぎ出したのだ。

ノムさんはなぜか「世界の王」とは親しく、よく打撃理論を交わす間柄だった。

大阪球場オープン戦で呼び出しを受けた門田のオッサン。

そこには、二人の大打者がいた。

「なおワン(王)ちゃん、ヒットの延長線上がホームランだよな?」(野村)、

「そうですね」(王)

つまり、言うことを聞かない門田のオッサンを2人して説得を図ったのだ。

普通なら、レジェンド級の大打者2人がかりだ。

しかも、1人は自チームの監督。

当時まだまだ若造の選手としては直立不動でご意見拝聴するのが当たり前だ。

しかし、世界の王の威光も門田のオッサンには通用しなかった。

呼び出しを受けた時点でピンときていたのだ。

おとなしく聞くかと思いきや、「監督ズルいわ!王さんと口裏合わせて」(門田)ときたもんだ。

苦虫をかみつぶすノムさんに「ノムさんも大変だね」と同情する世界の王。

まさに門田のオッサンの面目躍如である。

これくらい頑固でないと、「不惑の大砲」にはなれないのだ。

「南海の三悪人」

そこまでノムさんを手こずらせた門田のオッサン。

 後年、ノムさんはこう語っている。

「江本、江夏、門田の三人はワシの言うことをホンマ聞かんかった。

アイツらは南海の三悪人や。ワシもずいぶんと鍛えられた」。

この江本とは江本孟紀、江夏とは江夏豊ことだ。

確かにこの三人、本当に言うことを聞かない超個性派ばかりである。

まあ、部下を悪人呼ばわりするノムさんノムさんだが。

それにしても、天下無敵の悪人どもが配下にいてノムさんもさぞかし胃が痛かったことだろう。

 ついでと言っては何だが、後の赤ヘル黄金期を築いた名監督・古葉竹識

ノムさんの元で選手、コーチとして在籍していた。

こうしてみると、ノムさんの配下はなかなか人材が揃っていたのだ。

ノムさん恐るべし。

次回は、門田のオッサンがホームランにこだわるようになったいきさつに触れたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

門田博光・不惑の大砲(その1)

毎日暑い。

なぜこんなに暑いのか。

どこかの暗黒組織の世界征服作戦かと勘繰りたくなる毎日である。

閑話休題

そもそも、俺が「不惑」なる言葉を覚えたのはいつだったか。

よく覚えていない。

ハッキリと覚えているのは、「不惑」をポピュラーにした功労者こそ

門田博光だということだ。

このオッサン(本来はそう呼んではいけない大選手なのだが)、40歳で

バカスカとホームランを量産したプロ野球屈指の強打者なのだ。

普通、40歳といえばすでに引退していてもおかしくない年齢である。

ほぼ同時期に引退した江川卓掛布雅之は30歳前半でユニフォームを脱いだ。

あの王貞治も引退したのは40歳の時だ(それでも30ホーマー打ってたが)。

そんな常識を意に介さず、この40歳のオッサンは打ちまくった。

人呼んで「不惑の大砲」、「不惑の大打者」。

厳密に言うと「不惑」をポピュラーにした陰の功労者は、名付け親(こんな高尚な言葉を使うところから見て、おそらく故事に精通した新聞記者)と言うべきだろう。

そもそも、この「不惑」という言葉は、孔子論語「四十にして惑わず」が由来

つまり、「四十歳に入ってあれこれ迷うことがなくなった」という意味だ。

四十歳の孔子は相当にできた人物だとみえる。

それに引き換え、惑うことばかりの現代の不惑世代。

何ということでしょう!(加藤みどり風に)

さて、当時高校生だった俺は、この不惑のオッサンについて興味を持った。

 それで、いろいろと調べてみた。

強者だらけの当時の球界にあって、引けを取らぬ最上級の強者である。

出てくるエピソードもハンパなく濃い。

もっと書きたいので、次回に続く。

 

 

 

 

俺はこんなヤツ

記念すべき「はてなブログ」デビューである。

ブログ開始にあたって「意気込みを書いてみるか」と思ったが、これが困った。

 なぜなら、自分ほど「意気込み」に無縁な人間はいないからなのだ。

そういえば、人様の前で「自分はXXXXをやります!」などと言ったことがない。

照れくさいというのもあるが、「わざわざ言うほどのものでもあるまい」というのが自

分の信条なのだ。

だから、自分は人様の前で意気込みなど言わない。

もし、意気込みを問われても「ま、やれる範囲でやります」とか「結果は歴史が答えを

出すでしょ」などとしれっと言うのが自分の流儀だ。

何か皮肉を言わなければ気が済まない人間だ。

俺はそういう厄介なヤツだ。

職場の人事査定でも、プラス評価は受けていないだろう。

もっとも、自分は給料さえもらえればそれでいいわけで。

管理職になって要らぬストレスをしょい込むなんて真っ平御免である。

というからには、管理職になれていないということだ。

イコール「出世コースからの脱落」を意味している。

それには、それ相応のワケがある。

そのことについては、またおいおい語る機会があろうかと思う。

俺には、たった一つだが誇れる点がある。

それは、「受けた恩は忘れない」ということだ。

だから、このブログという名のたわごとにつきあってくださる方々の恩は忘れないつ

もりだ。

 いつまで続くか自信はないが、こんなヤツにおつきあいくだされば幸いである。

 

 

 

 

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