門田博光・不惑の大砲(その1)
毎日暑い。
なぜこんなに暑いのか。
どこかの暗黒組織の世界征服作戦かと勘繰りたくなる毎日である。
閑話休題。
そもそも、俺が「不惑」なる言葉を覚えたのはいつだったか。
よく覚えていない。
ハッキリと覚えているのは、「不惑」をポピュラーにした功労者こそ
門田博光だということだ。
このオッサン(本来はそう呼んではいけない大選手なのだが)、40歳で
バカスカとホームランを量産したプロ野球屈指の強打者なのだ。
普通、40歳といえばすでに引退していてもおかしくない年齢である。
ほぼ同時期に引退した江川卓や掛布雅之は30歳前半でユニフォームを脱いだ。
あの王貞治も引退したのは40歳の時だ(それでも30ホーマー打ってたが)。
そんな常識を意に介さず、この40歳のオッサンは打ちまくった。
厳密に言うと「不惑」をポピュラーにした陰の功労者は、名付け親(こんな高尚な言葉を使うところから見て、おそらく故事に精通した新聞記者)と言うべきだろう。
そもそも、この「不惑」という言葉は、孔子の論語「四十にして惑わず」が由来
だ。
つまり、「四十歳に入ってあれこれ迷うことがなくなった」という意味だ。
四十歳の孔子は相当にできた人物だとみえる。
それに引き換え、惑うことばかりの現代の不惑世代。
何ということでしょう!(加藤みどり風に)
さて、当時高校生だった俺は、この不惑のオッサンについて興味を持った。
それで、いろいろと調べてみた。
強者だらけの当時の球界にあって、引けを取らぬ最上級の強者である。
出てくるエピソードもハンパなく濃い。
もっと書きたいので、次回に続く。