不惑にして惑う男の日記

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中島春雄・世界も絶賛するゴジラ役者が去った

前回の記事で、『ゴジラ』第1作を取り上げた。

 

時期が時期だけに、反戦映画として鑑賞したことを書いたのだ。

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なぜ、ゴジラ』第1作(以下『ゴジラ』の表記で統一)を取り上げたのか?

前回の記事に書いたように、反戦への思いに突き動かされたという側面も強かった。

しかし、更に書きたかったのが『ゴジラ』の真の主役である中の人のことだ。

中島春雄スーツアクターの草分けたる人物である。

スーツアクターとしては、『ウルトラマン』の古谷敏、『仮面ライダー』の大野剣友会(中村文弥、中屋敷鉄也、岡田勝ら)が著名な存在だ。

そして、『ゴジラ』は今回取り上げる中島春雄に尽きる。

スーツの中で想像を絶する暑さと苦しみに耐え、ほんのささいな動きで最大限のパフォーマンスを演じてくれる存在だ。彼らの存在なくして、これら偉大な作品はあり得なかった。歴史の証言者と言ってもよいだろう。

その歴史の証言者の一人たる中島春雄が、帰らぬ人となった。

ゴジラ役者として世界からも絶賛された彼の死去は、世界メディアでも大きく報じられている。

スーツアクターなる言葉が存在しなかった時代に、文字通り体を張って「こんな仕事があるんだ」と知らしめた功績は計り知れない重みを持つ。

先駆者たる彼の奮闘を語らずして、後のゴジラシリーズは語れないのだ。

日本初のスタントマン

中島春雄は1929年1月1日、山形県酒田市で肉屋を営む両親の間に、五人兄弟の三男として生まれた。水泳と素潜りが得意だったため、後年のゴジラ役でその能力が生かされることになる。

1943年、14歳で横須賀の海軍航空技術廠の養成所入り。いわゆる予科錬としてカタパルト担当へ配属された。この時鍛えられた経験が、過酷を極めるゴジラスーツアクターの体力の基礎となった。

実家の手伝いや運転手などを経て、1950年東宝に専属俳優として入社。邦画全盛の時世で、日本初の身体に火をつけてのファイヤースタントを演じる。その当時、当然ながら日本にはスタントマンなんて職業はなく、「吹き替え」と呼ばれていたらしい。

この時期、数々の吹き替えをこなす。

ハードだ。もうこの時点で体を張っているという匂いがプンプンしている。

 ゴジラ役への抜擢

そんな中島春雄に日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』のスーツアクターのオファーが舞い込む。ぬいぐるみ(スーツ)の中に人が入って演じるという日本初の「ぬいぐるみ怪獣」。

特撮監督の円谷英二から、「お前が演じてくれれば3ケ月でできる」と口説かれたという。

それまでの怪獣は人形アニメを用いた表現しかなく、制作側も「ぬいぐるみ」を使うと言われても、全然イメージが湧かなかったそうだ。なにしろ初めての試みだから、当然だろう。

さらに困難を極めたのが、スーツに入っての演技だった。最初に完成したスーツは、特殊プラスチックを素材として造形されたため、重量が150kg近くもあるという代物だった。当然、一度転ぼうものなら、自力では立ち上がれない。

先輩俳優の手塚勝巳と共にスーツを着て歩行テストしたところ、中島春雄は何とか10メートル歩けたが手塚勝巳は3メートル歩くのがやっとだった。

スーツの中は自分の汗が充満し、とても臭くてたまらなかったらしい。

今では信じられないが、草創期ならではの話である。こんな劣悪なスーツに入って演技できたのも、「軍隊で鍛えられたおかげ」だったそうだ。

 一番の悩みは「どんな動きをすればリアルに見えるか」。円谷英二から『キング・コング』を見せてはもらったもののイメージがつかめず、合間を縫って上野動物園でひたすら動物を観察した。その結果、象や熊の動きからヒントを得るところが大きかった。

そんな苦労のかいあって、「脇を開かずにつま先を蹴り上げて、足の裏を見せないよう歩く」という重厚感みなぎる「中島流」ゴジラが確立された。第1作の成功は、中島春雄の試行錯誤の末に生まれたものだった。

ミスター・ゴジラ

その後も、1972年の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』まで、主にゴジラスーツアクターとして一線で活躍した。晩年になると、スーツの中に人が入っているという感覚はもはやなく、ごく自然にゴジラになり切っているほどの円熟ぶりだった。

ゴジラ以外にも、ラドンやバラゴン、ガイラなどでも彼の演技が生かされている。また、TVでは円谷英二の要請で『ウルトラQ』に参加。続く『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』にも出演している。

新しいゴジラが造形される際は、必ず試着して動きやすいよう改良していた。1作目のスーツに入った経験を後々まで生かし、そのノウハウを新造形のゴジラにも蓄積していたのだ。今のゴジラスーツには、先駆者である中島春雄の経験が生かされていることを忘れてはいけない。

彼のゴジラ俳優としての知名度は世界的であり、海外では愛称「ミスター・ゴジラ」と絶賛されている。近年は講演活動に積極的で、海外で開催されるイベントへの講演オファーがひっきりなしだった。そのオファーの人気ぶりは、講演料を貯めて家を建てたと言うエピソードでもうかがい知れる。それほど、世界中のゴジラファンからリスペクトされる存在だったのだ。

そのキャリアを評価したハリウッドから、キングコング役のオファーが来たこともあったという。ギャラも破格で、世界進出のまたとないチャンスだった。本人もやる気満々だったが、円谷英二の「何を言ってるんだ、もう次回作が待ってるんだぞ」という一言でしぶしぶ断念した。「ミスター・ゴジラ」のハリウッド進出を蹴るとは、特撮の神様も野暮なことをしたもんだと思う。

最後に、ドキュメンタリーで「ミスター・ゴジラ中島春雄自身が語ったコメントをもって締めくくりにしたい。

「最後まで僕のゴジラっていうのは、フイルムに残っていますから。記録に残っているから、僕にとってはありがたいと思う」