不惑にして惑う男の日記

四十にして惑う男が書く様々なネタ

門田博光・不惑の大砲(その4) ライバルとの熱い対決

久しぶりに不惑の大砲門田博光を取り上げることした。

やはり、球界きっての強打者について、もっと書きたくなった。

門田博光と言えば、パ・リーグである。

この頃のパ・リーグは、人呼んで「実力のパ」。

「人気のセ」セ・リーグへの対抗意識丸出しである。

人気はセ・リーグには及ばないが、実力では負けるわけないという強烈なプライドがにじみ出ている。

その気概に燃える役者たちがそろっていた。

ピッチャーだけでも、サブマリンエース・山田久志(阪急)、ケンカ投法・東尾修西鉄-太平洋-クラウンライターー西武)、草魂・鈴木啓示近鉄)、マサカリ投法村田兆治(ロッテ)とサムライ揃いだ。

今見てもシビれるような顔ぶればかりだ。

サブマリン・山田久志

我らが門田博光の一番のライバルが山田久志だ。こざかしい駆け引きは抜きで、インハイとアウトローの直球のみで勝負というシンプルなスタイル。その結果、山田久志は、門田博光から28本被弾する結果になっている。しかし、「本物のプロのバッターだった。真っすぐを狙っているところに、真っすぐを投げた。インハイとアウトローにすべて直球を投げていい勝負だった」と山田自身が語るようにお互いに悔いはなかった。

こんなことがあった。山田久志の現役最終年(すなわち、門田博光不惑の大砲として打ちまくった昭和63年)、対戦した2人だったが、山田久志はあっけなくノックアウト。その姿に何事か感じた門田博光は、翌日早朝に山田宅へ電話をかける。

(山田)「なんや、カド(門田)か。こんな朝早く電話なんて」

(門田)「ヤマちゃん(山田)、まさかやめるつもりやないやろうな」

(山田)「こんなぶざまな格好のままやめられるもんか」

(門田)「ヤマちゃん、ホンマやろな。信じてええんやな」

(山田)「当たり前や。カドにもお返しせんとアカンからな」

という会話だったらしい。要は、山田の雰囲気から「引退」を感じ取った門田が電話で真意を問いただしたというわけだ。

しかし、強がって見せたサブマリンエースも、内心では現役引退を決めていたのだった。

こういうライバル同士の会話ができるのも、うらやましい限りだと思う。

ケンカ投法・東尾修

東尾修は、危ない球をバッターの内角すれすれに投げ、外角球の絶妙なコントロールで打者をかわしていくのが持ち味だった。

とある試合の第1打席で、その危ない球が門田に当たった。そのお返しに、ピッチャー返しを東尾の太ももにお見舞いしたという。

(門田)「トンビ(東尾)、大丈夫か」

(東尾)「カドさん何を言うてますか。バットは全部僕の方に向いてますやん」

(門田)「やっぱりわかっとったか」

(東尾)「当然わかっていましたよ」

(門田)「お前、1打席目にオレに当てたやないか。これでおあいこや」

(東尾)「そうですね」

以後、東尾は一切そのような投球を門田にしてこなくなった。

なお、落合博満も同様の話が語り伝えられている。

マサカリ・村田兆治

村田兆治は門田から生涯14本被弾している。その中の1本がどうしても忘れられないのだという。「マサカリが完成してすぐのころ、絶対に打たれるはずのないひざ元へのスライダーを門田さんに打たれてサヨナラホームランを喫した。失投ではなくて、完ぺきな球をホームランにするバッター。あれから、門田さんにスライダーを投げたことはない」

それからの村田兆治は、スライダーを封印してストレートの威力を高めるべく精進に励んだ。それを伝え聞いた門田もストレートの球威に負けないよう、鉄球を打つトレーニングに励み、村田はさらにストレートに磨きをかけるよう鍛錬を続けたという。

鉄球を打つというあたりで、「花形満か!」とツッコミを入れたくなった。まあ、門田の場合、鉄のボールを打って、村田の球威に押されないという独自トレーニングだろう。投げるほうも投げるほうだが、打つほうも打つほうだ。さすがサムライだ